4 ヒロサトル
皆様こんばんは。
孫堅スレと云うことで、参加させて頂きます。
>>2 ピヨひこさん
はじめまして。
孫堅の生年が短く、活躍が少ないとの事ですが、そんなことはありません。しかし孫堅文台は、
三国時代の人と云うより、確実に後漢の人です。だから、三国志の価値観で見ると、活躍が少ないように見えますが、
後漢の価値観で見れば、孫堅は百戦錬磨の勇将であり、第一級の武将です。と云うのも、三国時代が力を付けた諸侯同士の抗争であるのに対し、後漢は、地方反乱や
飽くなき賊の討伐に明け暮れていたからです。
孫堅も名のある名家
(孫子)の出自でありながら、後漢の直臣として、17才で初陣して以来、地方でその討伐や平定に追われていました。
彼が全国デビューを果たすのは、27才の時の、
黄巾党の乱ですが、
後漢の中郎将であった
朱シュンに請われてその
配下となり、共に大功を立てます。また
韓遂・辺章の乱のおり、張温に請われて参戦し、そこで董卓と決裂。
張温に、董卓を切るよう進言しています。
その後も地方反乱の平定などで活躍しますが、
劉備軍が、私的な
傭兵集団的性格を合わせ持っていたのに対し、
孫堅軍は、孫堅の名声や人望で集まった集団で
ありながら、完全に
朝廷の軍隊として機能し、常に官軍でした。またその事が、エン術の傘下に組する、直接的要因ともなりました。
董卓の横暴が極まり、
諸侯がこれを除かんと、都に集結します。
孫堅も、これに参加する途上で、エン術に謁見しますが、エン術が朝廷に上表して、孫堅を諸侯に取り立ててしまうのです。
しかも
エン術の支配領内で…
これにより孫堅は、望むと望まないとに関わらず、エン術の指図を受ける身となったのです。
結果的に無欲が、
乱世では命取りとなり、エン術の命で攻撃した、
劉表との戦いで
流れ矢に当たり、
37才の短い生涯を閉じたのです。

孫策・孫権の原点は、
まさに、父の生き様に
あったのでしょう。
長レス失礼しました。
(PENCK/au)