4 巫俊(ふしゅん)
たぶん姜もスイッチになると思います(笑)
あと南中(雲貴高原)も潜在的には州を新設する可能性があったんじゃないかと思います。
原住民の漢化等の問題があって、南中の新設州の計画(?)は西晋までずれ込みますけど。
先秦時代の蜀郡とか漢中郡とか、三国時代の州の半分くらいの面積があるんです。
前漢の高祖が挙兵したときの身分は県令でしたけど、列記とした群雄のサイズですし、劉備だって最初は県令くらいから自立を図っていますけど、全然サイズが違います。
同じことが三国時代以降にも起こっていまして、人口が増える代わりに州郡県が急速に細分化されていくわけです。
前漢以降の中国史は地方官の歴史でもありますから、州郡県サイズの歴史というのも面白いですよね。
重慶市はモンゴルの南宋侵攻(13世紀)のとき、湖北の襄陽と同じく二大抗争地になっています。
私も江州城の話は知ったばかりなのですが、巴郡の郡治になったことが現在の石炭都市重慶が形成されている理由だとも言えるかなと思うと感慨深いですね。
あと南中(雲貴高原)も潜在的には州を新設する可能性があったんじゃないかと思います。
原住民の漢化等の問題があって、南中の新設州の計画(?)は西晋までずれ込みますけど。
先秦時代の蜀郡とか漢中郡とか、三国時代の州の半分くらいの面積があるんです。
前漢の高祖が挙兵したときの身分は県令でしたけど、列記とした群雄のサイズですし、劉備だって最初は県令くらいから自立を図っていますけど、全然サイズが違います。
同じことが三国時代以降にも起こっていまして、人口が増える代わりに州郡県が急速に細分化されていくわけです。
前漢以降の中国史は地方官の歴史でもありますから、州郡県サイズの歴史というのも面白いですよね。
重慶市はモンゴルの南宋侵攻(13世紀)のとき、湖北の襄陽と同じく二大抗争地になっています。
私も江州城の話は知ったばかりなのですが、巴郡の郡治になったことが現在の石炭都市重慶が形成されている理由だとも言えるかなと思うと感慨深いですね。
(PC)