4 巫俊(ふしゅん)
>>3
高岱は何者かにハメられたんですよね。高岱が召されたのは200年の前後なんで、孫策が江北から許昌をうかがっていた時機ですね。この時期の高岱は『左伝』をよくする人で名声があった他、意外なつながりですが会稽の妖族の許昭(注1)と関係を結んでいたことがあり、そして故人の呉郡太守許貢は高岱に遺恨を抱いていたと書いてあります。そして高岱は何者かの計略で孫策との仲を引き裂かれ、孫策と高岱の面会は高岱の処刑で幕を閉じました。そして同年中に孫策は長江の岸辺で許貢の末息子の残党に暗殺されるのです(注2)。
   
ひょっとすると孫策がこの時期に高岱と面会したのは、江北遠征と献帝救出を前にして江南の地縁血縁社会のまとめに重点があったのかもしれません。『左伝』というところも面白くて、『左伝』の末尾の文には江南の春秋呉国の王夫差が中原に攻め上り、天下の覇者になるという歴史が書かれています。そして中原遠征中に夫差の下僕であった会稽の越王句銭が挙兵して夫差を殺し呉国を奪うという最期が書かれています。

孫策は夫差、句銭、項羽の志を継いで江南から天下をうかがうという大志をもっていましたから、これはなおさらです。高岱は裏社会のボスと言ってもよく、孫家に仕えて表側にいた忠臣・張昭という位置とは対極かと。つまり賢者といっても体制側の賢者と体制外の賢者がいるということなのでしょう。そして孫策は自分になびかないものには過酷だった。

注1(若かりし日の孫堅が朝廷に従軍して討伐に従事した陽明皇帝許昌の子が許昭ですね。)
注2(負傷したのち傷が悪化して死んだらしいです。)
(PC)