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 さてさて、明確な資料が今手元にありませんで、正確なところは判じかねますが、ただ呂布が董卓の元に使えていた時にはそういう事の方が多かったのではないかと思われます。虎牢関における関羽との一騎討ちにおいては、そのような状況だったのでしょう。君主となってからも、劉備と袁術の争いを自らの弓の腕で仲裁するなど、呂布自身に人並み以上に度胸があった事は、想像に難くありません。           また、当時の合戦はまだ鉄砲や大砲といった遠、中距離攻撃兵器がなく、乱戦になりやすかった事も要因に挙げられます。乱戦ともなれば君主自らも親衛隊と共に戦いに加わることはよくあったでしょう。現に、まだ自勢力が小さいうちは、洋の東西を問わず君主自らが味方の兵と共に突撃し勝利している事例は、挙げるのに事欠きません。
(P902i/FOMA)