43 赤龍
漢中王即位時の、武臣最高位の4人に漏れたことが、5人の内趙雲が当時格下だったことを示すことですが、これにはそれなりの事情も考えられます。
関羽張飛は当然として、馬超はかつては一方の雄として関中に割拠した大物。彼が選に入るのはこれまた当然の立場。残る一人の黄忠というと、敵司令官夏侯淵を討ち取るという特級の勲功に対する褒章的要素が強いように思えます。別伝の趙雲の活躍を全て真実としても、やはり黄忠の大殊勲が優先でしょうね。
この黄忠の事情を裏付けるのが、諸葛亮が難色をしめしたこと。本来並ぶべき程の格の将軍でないとみなされてたようですね。
このような理由で、4人の人選が決まり、趙雲は漏れることになった。本気で「趙雲が黄忠に及ばない」と劉備が思っていたかは疑問が残ります。

ついでに気になってるのが、本当に趙雲の「昇進は無かった」のか?本伝の記述は、成都平定から、劉禅即位まで、あまりにすっぽりと抜けすぎなんですよね。これだけ古参の信頼すべき将が、全く沙汰無しというのも、どうも不自然。
(PC)