44 赤龍
反対に「趙雲の扱いが、劉備時代本当に低めだった」として、一つの仮説もたててみましょう。
劉備時代は、古参でそれなりの信頼も実力もあるものの、陳到あたりと並ぶ、それなりの将軍達の一人から抜きでることも無かった。
それが一転したのは、劉禅の即位。ご存知、長阪での阿斗救出は正史本文にも残るものです。つまり、劉禅にとっては、趙雲は命の大恩人。そのため、劉禅時代になって一気に引き立てられた。やがては、関羽、張飛、馬超、黄忠と並んで諡号が贈られた(実際は一年遅れだけど)そうして、彼等と並ぶ建国期の武臣の重鎮の一人として扱われるまでになった。
陳寿は、こうした事情をふまえ、関羽ら四人と共に、趙雲を同じ巻に並べ、建国期の最高の武臣の一人として同列に扱ったのではないか?

趙雲ファンには刺されかねない仮説ですね(笑)
(PC)