44 赤龍
まず「中原」については、お互いの認識が違っていますね。巫俊さんは、厳密に一つながりのだだっ広い平原を指し、私はもっと広い意味の一つの地域の名称を指しています。これが話がかみ合わない原因。まあ、これは話がまたそれるので置いておきましょう。

次に「問題のすりかえ」とか「函谷関の位置なんて問題でないと言っている」とか悪意を込めた解釈をされてますが、違いますよ。
巫俊さんは>>31で、河東が関西と考えられた要因として、函谷関の東遷の問題に終始されており、それ以外の解釈が無い。私には、そういった平面的な、単なる名称の変更といった理由だけでは、当時の関中とのつながりは到底考えられない。そこで地形的な問題を見る必要を提起したのですが。

私の考えが「かならずしも首肯されるとは限らないことを念頭に置」くよう言われてますが、私の一意見であり当然のことです。むしろ、前回の件も含め、巫俊さんにこそ自分の意見を批判されると、悪意を込めて解釈し感情的になる傾向が見られますよ。議論の際はそうしたことを念頭に置き、>>40でも触れたように議論の流れや論点は何かということをよく考えていくといいかと思います。
なんか偉そうな事言って申し訳ないです。
(PC)