46 寿君
「武陵の蛮民どもが反乱を起こして城邑を攻め取ったので、黄蓋に太守を領させた。」
この記事なんですが、よく読み返すと、武陵の太守とは確定できないし、武陵の蛮族が武陵を攻めたとは言えないようにも思えます。
黄蓋は215年没で確定的なんですか?。
孫皎が兵を継いだのも、単に孫瑜と並記してるだけで、黄蓋は218年ぐらいと言うのはないのでしょうか?。
だとしたら、分割後に黄蓋は長沙に入り、武陵から来た蛮族を鎮圧したと言えます。
この頃なら、関羽がしきりに呉領にちょっかい出してるので、「蜀の勢力」と言うのも、辻褄が合わないでしょうか?。
ましてや孫皎伝は時系列があやふやな感が否めない。
もう一回、黄蓋伝読み直してみますが、これぐらいが一番無難な気がします。
この記事なんですが、よく読み返すと、武陵の太守とは確定できないし、武陵の蛮族が武陵を攻めたとは言えないようにも思えます。
黄蓋は215年没で確定的なんですか?。
孫皎が兵を継いだのも、単に孫瑜と並記してるだけで、黄蓋は218年ぐらいと言うのはないのでしょうか?。
だとしたら、分割後に黄蓋は長沙に入り、武陵から来た蛮族を鎮圧したと言えます。
この頃なら、関羽がしきりに呉領にちょっかい出してるので、「蜀の勢力」と言うのも、辻褄が合わないでしょうか?。
ましてや孫皎伝は時系列があやふやな感が否めない。
もう一回、黄蓋伝読み直してみますが、これぐらいが一番無難な気がします。
(P905i/FOMA)