46 朱家
赤龍さんどうもです。長いこと勘違いしておりました。思いつきで書いて申し訳ないです。では、誰も触れないようなので、劉備の遺言で「孔明は後主の知力は大きく、期待以上の進歩をしていると言っているが」とある。皆さんはこの事にどのような考えをお持ちでしょうか?
(A1304T/au)
47 元歎
>>44
諸葛亮ファンがおられるのに、こんなこと言うのは恐れ多いですが(スイマセン)、劉禅は諸葛亮の独裁政治を嫌ったのではないかと思います。諸葛亮が丞相・録尚書事・司隷校尉(益州牧)を兼務していたのに対し、蒋エンは大将軍・録尚書事・益州刺史に任命されただけです。漢中府に成都政権が抑えつけられないように、漢中府に対して大きい実権は与えたくなかったのではないでしょうか? しかし、国政はしっかりと蒋エンら漢中府が握っていましたが。軍権も漢中府が握っているからあまり強いことは言えなかったんでしょうね。
黄皓は漢中府の暴走を制約する、いわば成都政権の切り札のような存在だったんじゃないかなぁと思っています。(ここまでは、成都と漢中は対立していたという前提の話です)

よく考えてみれば黄皓って、そんなに悪くないんですよね。姜維を讒言したことは、諸葛瞻・董厥らも参加していることからわかるように、姜維の北伐に対する反発であって黄皓の個人的な讒言ではありませんし、反乱が多発してないことから考えて、三国志や演義で言っているほど悪い政治ではなかったんだと思います。


>>46
今探してるんですが、この記述は誰の伝でしたっけ? 確かにどこかで読んだはずなのに…
(PC)
48 赤龍
>>46
先主伝注に引く『諸葛亮集』に載っているものですね。
私はただのお世辞程度だと思ってます。主君の子(しかも太子)の事を「あんたの子は馬鹿だよ」なんて言うわけないですし、まして劉備は死が迫っていた状態。安心させる為にもこうして劉禅の事を褒めるでしょう。
劉備は「もし本当ならなにも心配することは無い」といいつつ、様々な注意を続けてます。これはまた、お世辞だとわかっていたからでしょうね。
(PC)