48 元歎
天下二分は成功したと思いますよ。赤壁の時も勝つとは思えなかったのを、天祐とはいえ迎撃したわけですし。二分された後、どうなるかは考えてませんが。
二分の計関連について、周瑜はこう考えたのだろう、という面白い説があります。以下要約です。
孫呉最大の弱点は孫家の家柄の悪さ。そのため、孫策は献帝保護を目的として許都襲撃を計画した。しかし、今は皇族である劉備が孫権の元にいる。劉備を反曹操の旗頭にすれば良い。だから、『劉備を呉に留め、(帝を奉るための)宮殿を造り、(帝にふさわしい)美女や愛玩物を提供』したのだ。関羽や張飛を自分が扱えると考えたのは、劉備を軟禁するわけではないからだ。『遠い将来の事を考えれば』というのは、曹家が漢を滅ぼした時の事。そして二分の計。周瑜の蜀を奪う計画は現実性は大いにあった。劉備が実際に成功している。さらに、ホウ統はこの時、『精鋭を選び、成都に直行し急襲すべき』と劉備に進言している。周瑜もおそらく本拠直撃を狙っており、短期間に成都を制圧できるという勝算があった。周瑜が蜀を併呑する間の呉の防衛は、揚州・荊州の長江流域をすでに押さえている以上、そう簡単には防衛ラインを突破する事はできない。呂蒙あたりが残っていれば、拠点防御面で問題はない。このように考えた場合、周瑜の天下二分の策は、孫呉が天下統一を成し遂げるためには、これしかないと言って良いほど、純粋軍事戦略的に精錬された策である。ただし、これが天下二分の策の真相だったすれば、孫権が周瑜の提案を受け入れなかったのは、当然至極と言える。天下統一は二の次として、孫権を皇帝とする事に目標を置く魯粛案と、天下統一を目標として、名目上のトップとして劉備を担げという周瑜案。どっちを孫権が受け入れるかは、その後を見れば一目瞭然だ。
以上です。そもそも劉備を担ごうとしていたわけですね。だから劉備方面も心配ないと。
なかなか面白いと思いませんか? 今のところ僕はこの考えに傾いています。
(PC)