48 巫俊(ふしゅん)
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虞翻伝の引く『会稽典録』の虞翻の言葉のなかに陳宮という人が出てきますが、別人でしょうか?

しすさんが挙げられた記述「剛直烈壮で、若いころから海内知名之士と皆連なり結んだ」は張邈伝の引く『魚氏典略』が書く陳宮の小伝らしいですが、
「剛直烈壮で・・」の文に続いて、曹操に従い曹操を疑い、呂布に従い呂布が陳宮の計に従わず、そして下ヒで敗れて陳宮が曹操の捕虜になったと文があり、そして例の陳宮最期の場面を書くのが『魚氏典略』のようです。
私はこの陳宮最期の場面を見るに、最期の場面になって陳宮は「孝治」と「仁政」を初恋の相手とでもいえる曹操に求めたものと思いました。
老母と妻子を曹操に扶育させる為のいささか賢(さか)しげでツンデレな智略であるとも思いますが、
そこに曹操の統治へ期待と絶望がこもっているように感じます。

とこれはしすさんがおっしゃるように「人間像」である訳で、史料をみて私が抱く気持ちを述べているに過ぎません。
史料を見て、そしてそれを増幅させたのが「人間像」であるともいえます。
史料というのは文章の羅列であるのに過ぎないので、人の気持ちまで完全に文字にして写すことはできませんからね。
この「増幅」という工程において、妄想であれ思慮であれ何か「正史に書かれてはいないこと」を補完している意見であるということを、少なくともこの掲示板で語るのであれば意識しておいた方が円滑に議論ができるのではないでしょうか。

各氏が「増幅」したものについては、史料的な裏づけや確実性がある訳ではぜんぜん無いので、そこら辺を勘違いして史料と「増幅」したものを同じものであると思って書き込むと、しすさんが指摘されたように、議論する余地が少なくなるんだと思います。

「私の妄想ではこうだと思う」
「史料ではこうありますね」
「やっぱり妄想はあたってましたか(笑)」
では歴史を疑うというプロセスが完全には生きていないんですよね。
要するにこの場合は迷子さんの持論が言い尽くされたら、たぶん議論も止まるだろうということ。
それを防ぐには、しすさんみたいな定見が必要だし、誰かがほかの立場から意見を言う必要があるというわけ。「討論」を円滑に続けていく為に。
(PC)