49 しす
当時の街亭辺りはうっそうと樹木が生い茂る広大な森林地帯であったようです。
そして軍が行軍するには人が切り開いた道を進むしかなかったとか。
万を越える軍勢が森林地帯を迂回することは不可能で新たに道を切り開く時間もなかった。
孔明の考えではこの地形を利用し街道封鎖すれば寡兵でも魏軍の脚を止めることができると考えたのではないでしょうか。
街道沿いに設営してしまえば線上の一点での戦闘になりますから守りを堅くしていれば大軍と言えど、それを抜くことは難しかったのでは。
それとたとうさんの指摘する水の件ですが、馬謖の軍は前衛部隊ですから大量の補給物資を抱えて進軍していたとは考えにくいのではないでしょうか。
山上に布陣し水の手を断たれた上に逆に糧道を封鎖されては敗北は必至かと思います。
それと高きから低きへと攻めた方が有利なのは確かですが、それも敵が攻め寄せてきた場合のお話。
魏軍が無理攻めをせず、守りを固めて包囲してしまえば効果は半減します。
それに糧道を断たれ、退路を断たれた軍の士気は減退しきっており、この状態で攻撃を仕掛けたところでまともな戦果が期待できるとも思えないのですが。
ましてや相手は半世紀近くに渡って戦場で指揮をとり続けた名将張コウ。
果たしてこの状態で馬謖に勝算があったでしょうか?
そして軍が行軍するには人が切り開いた道を進むしかなかったとか。
万を越える軍勢が森林地帯を迂回することは不可能で新たに道を切り開く時間もなかった。
孔明の考えではこの地形を利用し街道封鎖すれば寡兵でも魏軍の脚を止めることができると考えたのではないでしょうか。
街道沿いに設営してしまえば線上の一点での戦闘になりますから守りを堅くしていれば大軍と言えど、それを抜くことは難しかったのでは。
それとたとうさんの指摘する水の件ですが、馬謖の軍は前衛部隊ですから大量の補給物資を抱えて進軍していたとは考えにくいのではないでしょうか。
山上に布陣し水の手を断たれた上に逆に糧道を封鎖されては敗北は必至かと思います。
それと高きから低きへと攻めた方が有利なのは確かですが、それも敵が攻め寄せてきた場合のお話。
魏軍が無理攻めをせず、守りを固めて包囲してしまえば効果は半減します。
それに糧道を断たれ、退路を断たれた軍の士気は減退しきっており、この状態で攻撃を仕掛けたところでまともな戦果が期待できるとも思えないのですが。
ましてや相手は半世紀近くに渡って戦場で指揮をとり続けた名将張コウ。
果たしてこの状態で馬謖に勝算があったでしょうか?
(PC)
51 天草
たろうさん>初めまして!以後よろしくお願いします!
白熱した皆さんの意見を拝見させてもらいました。私も愚見ですが、この問題を自分なりに考えました。
まずは5つの北伐ルートをもう一度、確認です。
北伐ルート
このうち、第一次北伐では諸葛亮は趙雲とケ芝という名将を褒斜道に向かわせ、そこを通ると見せかけて、大軍を関山道に向かわせました。この理由は天水郡のいくつかを帰順させ、後顧の憂いを起つためですね。これにより、曹真はまんまと騙されて、その隙に本軍は街亭まで辿り着きます。ちなみにここで姜維が降伏します。
さていよいよ街亭での布陣ですが、ここから先はまだ調べてません(爆)また調べてみます。ここまでは皆さんの調べ・意見と同じでしょうか?
白熱した皆さんの意見を拝見させてもらいました。私も愚見ですが、この問題を自分なりに考えました。
まずは5つの北伐ルートをもう一度、確認です。
北伐ルート
このうち、第一次北伐では諸葛亮は趙雲とケ芝という名将を褒斜道に向かわせ、そこを通ると見せかけて、大軍を関山道に向かわせました。この理由は天水郡のいくつかを帰順させ、後顧の憂いを起つためですね。これにより、曹真はまんまと騙されて、その隙に本軍は街亭まで辿り着きます。ちなみにここで姜維が降伏します。
さていよいよ街亭での布陣ですが、ここから先はまだ調べてません(爆)また調べてみます。ここまでは皆さんの調べ・意見と同じでしょうか?
(PC)