48 天草
孫堅といえば、やはり最大の謎は玉璽でしょ?

実際、孫堅は本当に持ち出して帰ったのでしょうか?
だとしたらその後の行方は?

皆さんはどう思いますか?
(PC)
49 赤龍
玉璽の話は>>>254-17-27でも少し触れられてますね。
(PC)
50 天草
実際に玉慈というもの自体、何の役を果たしてたのかな?
三国志自体にあったのなら、それ以前にも当然あった訳ですよね?
しかし、この時代の書簡といえば竹などでしょ?
印鑑なんて無理っぽくないですか?
(N902i/FOMA)
51 TS
竹や木の簡をすだれのようにつないだのが当時の文書ですが、それを内向きに巻いて紐で縛り、結び目を粘土で固めるのが封印の方法でした。
で、結び目に盛る粘土(封泥)に押しつけて刻印するのが当時の印の役割です。簡に朱肉で押していたわけではありません。
(W31T/au)
52 赤龍
>>50
孫堅が見つけたとされる伝国の玉璽自体は、代々の皇帝に伝わる宝物であり、実際に使われるものではありませんでした。日本でいう三種の神器みたいなイメージですかね。
で、実際の皇帝の文書などに使用されるのが「皇帝六璽」と呼ばれる6種類の印璽であり、用途・相手により使い分けてたそうです。この六璽も玉で作られてたようで、史料中でも伝国璽と六璽で混乱することもあるようです。
使い方は>>51でTSさんが説明されているとおり封泥です。西洋の映画とかで、手紙の口を蝋(?)で固めてハンコ押す場面たまにありますよね。あんなイメージです。
(PC)
53 赤龍
印璽は、皇帝の玉璽以下、諸侯王から各官職までそれぞれ地位に応じたものを与えられてました。実際の使用に加え、その身分を示すものとして身につけていたようです。今でいう身分証明書的存在でもあったようです。
(PC)
54 天草
>>51-53

封泥!?
いやぁ…聞いてみるものですね。勉強になりました。

玉璽自体に関しては、良く分かりました。

伝国の…という言葉が良く付け加えられてますが、これにはどういう意味があるのでしょう?

漢だけではなく、その前の王朝から象徴として利用されていた、ということですかね?
(PC)
55
『伝国の玉璽』のそもそもの始まりは、秦の始皇帝の時代に霊鳥の巣から宝玉が見つかり、それを瑞祥とした始皇帝が宰相の李斯に命じて『受命於天、既寿永昌』と彫らせ、形を整えたのが始まりだそうです。
その後、王莽が帝位を簒奪せんとした時、王政君に対し玉璽を引き渡すように使者を出したが、激怒した王政君は王莽の事を「恩知らず」と散々罵り、使者に対して玉璽を投げつけたそうで、故に龍の角の部分(つまみの所)が欠けてしまい、後に金で補修したそうです。(これが本物かどうかは定かではない)
以後、代々の中原王朝の皇帝に受け継がれてきましたが、五代十国時代の946年に後晋の出帝が遼の大宗に捕えられた時紛失。以来行方不明になっています。
(P902i/FOMA)
56 天草
>>55

という事は、三国志時代以降も玉璽は存在したということですよね?

って事はやっぱり、孫堅強奪疑惑はデマの可能性大なのかな?
(PC)
57
そうですね。だいたい大した大きさの物ではありませんから、私が献帝なら手元に持って流浪しますね。
(P902i/FOMA)
58 赤龍
>>56
三国時代以降も伝国の玉璽が受け継がれたということは、それだけでは孫堅の玉璽所有を否定する根拠になりえません。
『後漢書』徐キュウ伝にあるように、袁術死後、伝国璽が徐キュウにより許の朝廷に戻されたという話があります。
これを信じると、孫堅→袁術→献帝と伝国璽が戻ってきたことになり、後の王朝に伝わったこととも辻褄があいます。
私は、ひょっとしたら、魏呉蜀三国みな伝国璽をもっていたかもしれないという想像(てか妄想)もしてます。それぞれが、自己の正統性を主張するために、伝国璽をつくり(要は偽造ですね)所有してた。そして、それぞれがその由来を説明するため、様々な説が生まれてしまったのではないか?と。ひどい場合、3つとも偽造されたもので、本物は既に失われ、その一つが後の王朝に伝わったのかも?ここまでくると酷い妄想ですが(笑)
(PC)
59 巫俊(ふしゅん)
フビライ・カーンも伝国の玉璽を「創作」しているらしいですよ。
時代を超えて登場し、いつの間にかデザインが変わっていくとか。
その時代に「本物」と鑑識されることが重要で、現代的な意味でのニ千年間変わらぬ「個体」の玉璽が必要だった訳じゃないんですよね。

伝統ってそんな感じのものです。
「つくられる伝統」。
でも「つくられる伝統」をニセモノの歴史と考えるんじゃなくて、
要は真贋が問題なのではなく、どうして玉璽の真贋が議論されるのかを考えたらいいんですよね。

人間のDNAはプログラムの集積ですけど、私たちはプログラムと自覚しているわけではなく、歴史や伝統といった自分のまわりの世界のなかで暮らしている(と思っている、、思いこんでいる?思うことそれ自体にこそ意味がある?)んです。

と別の話になりましたが、伝国の玉璽がニセモノであるとすると、(前漢から伝国の玉璽があったのは事実だが)私たちからするとニセモノでありながら、それでいて「伝国の玉璽たち」にすさまじき価値が付与されていたということが重要なんでしょう。

ダイヤモンドの採掘がアフリカの小国の経済を揺らすのにも似て、何の役にも立たない宝石のようでいて、何の役どころか実際に世界を揺らしているというところがポイントですね。
(PC)
60 巫祝(ふしゅく)の俊
>>55
10世紀の伝国の玉璽と3世紀の伝国の玉璽、
このふたつが科学成分的に同一の玉であるかどうかは、やはり紛失している以上は分からないというのが落ちですよね(^^;
よく考えたら。
歴代継承されたというけど、継承されたことを証明する手立ては私たちにはなく、ただ継承したと主張する人たちが何時代にいたかが分かるだけ。

あとついでに中国の印章文化はインダス文明の起源のようですね。別の話じゃメソポタミアが起源とか言うので私もよく分からないんですが、とりあえず新石器時代の最初から中国に印章があった訳ではないことだけは確かなので。
巴蜀文字と呼ばれる漢字ではない文字が書かれた印章が紀元前の四川から発見されています。
いわゆる長江文明のものですが、インダス文明の印章によく似てるということです。
(PC)
61
その物がもっている価値はそれその物にはなく、それの持つ歴史や状況によって変わる・・・・金もダイヤモンドも、採掘量が少ないから価値があるのであって同じ物が路端に転がっていれば、質が同じでもなんら価値はない・・・・また金自体に歴史を動かす力はなく、常に歴史を動かすのは人間であり、金によって動かされているように見えても、その実、動かしているのは人間である・・・・小説の一つも書けそうな題材ですね(笑)
(P902i/FOMA)