5 大伴
しかし歴史において果たした賈クの役割は、別の二つの方が大きいと思います。

一つは曹操が後継者に迷っている時に、「袁紹、劉表の後継者選びの事を考えていました」と発言した事ですが、これは彼の本領と外れる領分ですし、他のスレッドに譲りましょう。

さて、私は賈クを、優れた作戦家、及び戦術家だと認識しています。張繍の元での対曹操戦、曹操の参司空軍事への抜擢と、それを示す事実は少なくありません。しかし彼は、戦略家としての才覚を見せた事もあったのです。
董卓が殺されると、李カクや郭シ等は、軍を解散し、逃げようとしました。これを中止させたのが賈クだったのです。彼等はこれに従い長安を目指し、到着の後、長安の人々を老若男女の区別無く、殺し回ったといいます。これが呂布逃亡、そして流浪の原因です。
三国志に注を付けた裴松之はこれが気に入らないらしく、賈クを「仁者の功は著れにくく(略)災いの種を撒き散らした(略)これ以上に酷い例はない」と評し、以後も、三公とした話を聞き孫権が曹丕を馬鹿にした、とか、陳寿が称賛しているのは正しくない、と散々です。
しかしこの仕事こそが、彼の果たした(良し悪しは別の問題として)最も大きな歴史的役割だという事に、異論は無いと思います。私は好きですよ。
(F2102V/FOMA)