5 ストラップ
>>>205-54-55
古田武彦氏や谷本茂氏の「短里説」って、どれ位の信憑性があるのでしょうか?

ネット上にあった「1936年発布赤軍臨時野外教令」の翻訳によると、
「騎兵の普通行軍速度は1時間7粁半」
「一般兵団の一日行程は、普通行軍に於いて8時間32粁、強行軍に於いては10乃至12時間以上(大休止の時間を増加す)とす」
との事ですから、強行軍の場合騎兵は約「75Km/一日」な訳ですよね?三日に一度の強行軍だと計算すれば、三日で200Km弱進むというところでしょうか。

>>>282-27の移動距離を計算しますと、一里≒414.72mならば、夏侯淵の三日の移動距離である五百里は約207Km。
誇張も入れれば無茶な数字では無いし、短里では全く夏侯淵の凄さが伝わらない。
一体どうなんでしょう?僕は短里説怪しいと思うのですが。
(PC)
6 赤龍
>>5
肝心な説明が抜けているので補足しますと、後漢の一里は414.72m。魏では434.16m.と、どちらにせよ約400mちょっと。
それに対し「短里説」は一里を約75〜90mとするものです。
この短里説の素晴らしいとこは、日本列島を通り過ぎて海の中にまでいってしまう魏志倭人伝の行程記述が、この短里を前提によむと、綺麗に日本列島の中に!
ということですが、肝心な当時この短里が使われてたという根拠はあるんでしょうか?
これは本来「魏志倭人伝の記述を読む際、一里を約75〜90mとして扱えば、行程の記述がうまくあう」ということにすぎないですよね。私もかつてこれに近いことを考えたことはあります。
しかし、だから「当時は一里を75〜90mとしていた」というのはえらい飛躍ですよね。魏志倭人伝を読むためだけに、長さの単位の常識を塗り替えられるわけですから。
魏志倭人伝の研究以外の場で、この短里というものを全くといっていいほど聞かないのも、倭人伝問題のためだけの理屈(屁理屈?)にすぎず、一般には全く相手にされてない(認められてない)ということなんじゃないでしょうか?
(PC)