50 通りすがり
天下三分の計って周喩の天下二分に対抗する為に考えられたのではないてしたっけ?まあ良いです。益州を得た時点で孔明の構想は崩れていたと思います。理由呉との関係、ホウ統・徐庶といった謀略や前線を任せられる軍師の不足、魏とショク呉の人口差等です。呉とは荊州の国境問題で同盟していたとは言え緊張関係にあります。孔明は内政官外交官であり軍事はそれ程優れてはいないと思います。ホウ統・徐庶と言う優れた謀略家、前線指揮官を失ったためやむを得ず軍事も担当したのではないでしょうか?これがショクの人材不足を生み出す温床になったと思います。後漢後期の動乱により中華の人口は激減してますしかしいち早く安定した魏はその分だけ回復してますし、荊益の動乱等から安定している魏に逃げ込む民衆もいるわけですから人口は大幅に回復していたと思います呉にしても山越や魏ショクとの戦いで流出した民衆はいたでしょう。妄想ですが孔明はこれらを見て魏討伐は不可と判断、漢朝の存続はなったので劉協や中原の民衆に北伐してショク漢の存在を示すのがやっとと考えたのではないでしょうか?
長々と失礼。
(GzOne/au)