50 巫俊(ふしゅん)
政治動態的アプローチによって、後漢・三国時代の地理認識を論じようと考えています。
地理認識というものは、地形からだけ生まれるものではありません。立体的なだけでなく名称的で政治的な歴史的背景を考える必要があります。
函谷関以西であれ、潼関以西であれ、関西という言葉の起源の追求なくして、河東地域の理解もないでしょう。
程銀を例にすれば、彼は豪族だそうですから、

例えば、董卓がヘイ州刺史や河東太守の印綬を所持していたことがありましたよね。(赴任していない?)
董卓長安政権時代の牛輔の駐屯地が河東郡の安邑です。

そのほか、群雄関連のエピソードの中にもヘイ州と涼州の類似性や関係を論じることのできる材料が揃っているかもしれません。
ヘイ州と涼州を結ぶ経由地が河東ですし、関西人士の性格を論じるには河東郡の考察は有用だと思われます。
河東郡の諸豪族が馬超の反乱に同調したのは、地形のこともさることながら、人間関係に起因するものが大きいはずです。利害を同じくする環境・関係といったものですね。人間関係は何がしかの土壌と歴史的背景によって結びつき生まれるものですから。
(PC)