50 朱家
私は袁紹を凡庸だと思ってないので、生き埋めは否定しませんし、徐州虐殺とは、全く質が違うと思います。
徐州侵攻時の曹操は、虐殺によって他国に恐怖を与えれるほどの勢力はなく、むしろ逆効果です。しかし、徐州国内は違うと思いますね。民が曹操に流れる事はないですが、多くの民が逃げてます。戦乱を避けただけかもしれませんが、虐殺による影響も少なくないでしょう。国力を削ぐ効果はあった訳です。しかも二度目の侵攻では、ほぼ戦意喪失させてます。
陶謙は軽視できる勢力ではなく、死を覚悟して出陣しており、陶謙を討つ事しか考えられなかったのでしょう(壊れてます)それならば虐殺も、一つの手段と思います。
父の仇を討つための虐殺。陶謙が捕まらず八つ当たりの虐殺。さすがに前記のような気がします。結果的には、目的の陶謙すら討ててないので、失敗ですけどね。
徐州侵攻時の曹操は、虐殺によって他国に恐怖を与えれるほどの勢力はなく、むしろ逆効果です。しかし、徐州国内は違うと思いますね。民が曹操に流れる事はないですが、多くの民が逃げてます。戦乱を避けただけかもしれませんが、虐殺による影響も少なくないでしょう。国力を削ぐ効果はあった訳です。しかも二度目の侵攻では、ほぼ戦意喪失させてます。
陶謙は軽視できる勢力ではなく、死を覚悟して出陣しており、陶謙を討つ事しか考えられなかったのでしょう(壊れてます)それならば虐殺も、一つの手段と思います。
父の仇を討つための虐殺。陶謙が捕まらず八つ当たりの虐殺。さすがに前記のような気がします。結果的には、目的の陶謙すら討ててないので、失敗ですけどね。
(W32K/au)
51 赤龍
官渡で生き埋めにされたのは、無関係な民ではなく、本心から降伏したのではない兵というとこに注意しなければいけません。項羽の場合にしろ、敵軍の方が多く、捕虜の数も膨大なもの。それだけの不穏分子をかかえる余裕があったか?非情でも災いの芽を絶つべきと判断するのもやむをえない面もあります。
徐州の虐殺と同列に扱う問題ではありませんね。
徐州の虐殺と同列に扱う問題ではありませんね。
(J-SA05)