50 元歎
見てきました。しかし、時間が限られていたので一部分だけですが…。

曹丕と曹植の対立は、曹植が曹操に可愛がられていることに目を付けた、曹植の側近である楊脩と丁兄弟が曹植を担ぎ上げたために起こったもので、曹植自身には君主になろうとは思っていなかった。彼の詩「丁儀に贈る」が、それをよく表している。また、曹丕側もやむなく応戦しただけである。
…という主旨のことを述べた後、こう記していました。

『曹操・曹丕の死は魏国の大事件だったが、曹植は二つの死を断腸の思いで迎えたに違いない。曹丕を陰険極まりない人物のように言う人もあるが、私は決してそうは思わない。君主としても第一流の明君であり、弟植に対しても、かばえるだけかばった人だったと思う。曹植もこの兄を終始大いに敬愛していた。彼の「文帝の誄」はそれをよく表現している。』

なんだか、「丁儀に贈る」と「文帝の誄」という二つの詩がカギのようですが…詩はよくわかりませんf^_^; 詳しい方、どういう詩なのかご説明下さいm(__)m
(PC)
51
丁儀に贈るは、丁儀との友情やらを詠んだものですが、呉の季札の故事を引いて季札のように帝位につく気はないと暗に示したものとも言われます。原文は、探しておきますが、他に分かる人が居ればお願いします。
文帝の誄は知らないので、これも調べておきます。ちなみに、誄は死者の功績を讃える文や言葉という意味があります。
(P900i/FOMA)
52 赤龍
元歎さん、報告感謝です。
さて、元歎さんの報告を見て思った事を。
結局根拠が曹植の詩文のようですが、こうしたものは世間に公になることを前提に書かれていると思われます。なので、そうしたとこでは「私には野心がありませんよ」とか「大好きな兄さん、偉大なる皇帝陛下が死んで、私は悲しいです」て言うに決まってます。「死にやがってざまあみろ」なんて書いたらただじゃすみませんから。この程度のことを根拠にした論なら、たいした説得力は無いんじゃないかなあ、というのが私の感想です。
(PC)