51 元歎
僕が疑問に思ったのが、『劉表は…ひそかに防備を設けた』という記述です。荊州の一部の豪族が劉備に心をよせているのを見て劉備の心に疑いをもったのが理由とされてますが、カイ越らの支配下の豪族ならば何の心配もありません。そこで、カイ越らの支配下にない豪族、完全には服従していないと思われている豪族がいるのではないかと考え、しかも、それは県レベルの豪族(この程度の集まりならカイ越らが恐れる理由はない)ではなく郡レベルの豪族。そう考えて、宗賊と表現されたあの斬られた豪族たちの勢力が思い浮かびました。張虎・陳生は襄陽を占拠するほどの豪族ですから、郡レベルと考えられます。そして、この張虎と陳生は江夏出身。劉キが避難場所と選んだのも江夏。曹操の来襲で劉備が逃げて最終的に落ち着いたのも江夏の夏口。江夏に何かあるものかと考えれば、太守に黄祖がいて、黄祖を調べれば張碩・陳就がいたのです。ここまで来たらもう信じきっちゃいましたね。
張虎・陳生が降伏したのは、豪族が多く斬られて二人だけ(じゃないかもしれないけど、名前が残っているのは二人なので…)では統制がとれないと判断したからだと考えてます。頭は斬られても、一族の誰かが土地を守って勢力は消えないでしょうから、この降伏は勢力回復のための休息であり、劉表の今後の動静を観察するためじゃないかなと。もちろん、カイ越の名士としての規制力もあったとは思いますけど。多分、降伏してもその軍は解体されてないと思うんですよ。劉表軍に組み込まれてもいない、服従はしてても一定の勢力を保っていたと。そして劉ソウが後継者になりそうだから、動きが再び活発になった。そういう考え方です。
記述に疑問を持って、そこからは史料を提示してませんから、結局は推測で、言っていることは変わらないんですが。
張虎・陳生が降伏したのは、豪族が多く斬られて二人だけ(じゃないかもしれないけど、名前が残っているのは二人なので…)では統制がとれないと判断したからだと考えてます。頭は斬られても、一族の誰かが土地を守って勢力は消えないでしょうから、この降伏は勢力回復のための休息であり、劉表の今後の動静を観察するためじゃないかなと。もちろん、カイ越の名士としての規制力もあったとは思いますけど。多分、降伏してもその軍は解体されてないと思うんですよ。劉表軍に組み込まれてもいない、服従はしてても一定の勢力を保っていたと。そして劉ソウが後継者になりそうだから、動きが再び活発になった。そういう考え方です。
記述に疑問を持って、そこからは史料を提示してませんから、結局は推測で、言っていることは変わらないんですが。
(PC)