52 岳飛
>ストラップ殿
素早い反応ありがとうございます。
私は法正とホウ統を混同してはいませんよ、ただ少し書き方に不備があった感じがしますので補足を…
正史によりますと、諸葛亮が前線指揮を初めてしたのは劉備の死後、南蛮制圧戦であったと思います。それまでは、内政が主な仕事であったのではないかと考えています。よって前線に諸葛亮がいた戦いはなかったと思います。
しかしホウ統は流れ矢(流矢)で恐らくハリネズミのようになって絶命したことから、積極的に前線に出ていた、すなわち劉備から軍略の才を(少なくとも諸葛亮よりは)認められていたのでは…と考えたのです。
後劉備が中策を選んだ件については多分に私の私感が入っています…劉備は演義にかかれている程のお人好しではなかったと考えていますので中策を選んだのには何か考えがあったのでは?と思ったのでホウ統に好意的な解釈をとってしまいました。申し訳ありません。
素早い反応ありがとうございます。
私は法正とホウ統を混同してはいませんよ、ただ少し書き方に不備があった感じがしますので補足を…
正史によりますと、諸葛亮が前線指揮を初めてしたのは劉備の死後、南蛮制圧戦であったと思います。それまでは、内政が主な仕事であったのではないかと考えています。よって前線に諸葛亮がいた戦いはなかったと思います。
しかしホウ統は流れ矢(流矢)で恐らくハリネズミのようになって絶命したことから、積極的に前線に出ていた、すなわち劉備から軍略の才を(少なくとも諸葛亮よりは)認められていたのでは…と考えたのです。
後劉備が中策を選んだ件については多分に私の私感が入っています…劉備は演義にかかれている程のお人好しではなかったと考えていますので中策を選んだのには何か考えがあったのでは?と思ったのでホウ統に好意的な解釈をとってしまいました。申し訳ありません。
(W31T/au)