54 かなた
初めまして。皆さんの高度な意見に自分の勉強不足を感じずにはいられませんが…僕も意見してみたくなったので暫しお付き合いください。僕としては天草さん同様、孔明の構想は三国の形をつくり、そこで終りだった様に思えます。しかし劉禅が愚かであったために孔明は危機感を持ったのだと思います。劉璋は劉備という将に国を奪われています。劉禅の姿が、かつての劉璋と重なったのではないでしょうか。更に猛獲という勢力に孔明の危機感は増し、蜀の力を宣伝するために魏を攻撃した。僕は孔明自信はあまり好戦的ではなかったのでは、と思っています。姜維を北伐のシンボルとして、自らは内政に力をいれたかったのでは。
(W21K/au)
55 夏候斎
たしかに孔明は民同然の生活をおくってましたが、ある程度の情報は知り得たのでは無いでしょうか?呉には兄が仕えてましたし魏にも一族の者が仕えてましたから手紙なりなんなりで大まかな事は知り得たのでは?
益州の件は私の間違えです。たしかにあの頃は益州しか彼等にはありませんでしたね。官途直後ならば華北で割拠する事も出来たのでしょうが…。
やっぱり孔明は益州で割拠する事までしか考えてなかったのでしょうかね?
益州の件は私の間違えです。たしかにあの頃は益州しか彼等にはありませんでしたね。官途直後ならば華北で割拠する事も出来たのでしょうが…。
やっぱり孔明は益州で割拠する事までしか考えてなかったのでしょうかね?
(GzOne/au)
56 崇英
こんばんわ。
かなた殿、夏候斎殿、初めまして☆
私が考えますに、蜀の力を
宣伝する為の北伐ならば、
それは勝つ必要がないわけで(もちろん負けを目的にするわけにはいきませんが…)、
相たる者の出陣ではなく、将の派遣で事が足りると考えます。
かなた殿、夏候斎殿、初めまして☆
私が考えますに、蜀の力を
宣伝する為の北伐ならば、
それは勝つ必要がないわけで(もちろん負けを目的にするわけにはいきませんが…)、
相たる者の出陣ではなく、将の派遣で事が足りると考えます。
(PC)
57 崇英
最近は、天草館長の『天下三分こそ完成形』論が大きく育っていますね。
私にそう見えているだけでしょうか?^_^A
劉備が亡くなると、魏の王景興、華子魚、陳長文らが、
諸葛孔明に宛てて従属を要求する書面を送ったとあります。
これは、蜀漢の力を自国より下に見た行動に他なりませんが、
一方で、出征して切り従える事が億劫で、しかも成功しても旨味が少ないと考えたとも取れないでしょうか?
私にそう見えているだけでしょうか?^_^A
劉備が亡くなると、魏の王景興、華子魚、陳長文らが、
諸葛孔明に宛てて従属を要求する書面を送ったとあります。
これは、蜀漢の力を自国より下に見た行動に他なりませんが、
一方で、出征して切り従える事が億劫で、しかも成功しても旨味が少ないと考えたとも取れないでしょうか?
(PC)
58 飛燕
初めまして、夏侯斎さん、かなたさん♪
そして、崇英さん。曹操についての討論ではお気を悪くされたかと思います。遅くなり、場所違いでもありますが、謝りますm(__)m
さて、本題ですが、僕としても崇英さんの意見に賛同します。本来、文官である彼が戦の総指揮官を務めるわけですから、彼の、"何としても戦に勝ちたい""何としても蜀を強くしたい"という彼の気持ちの強さがうかがえると思います。
あと、彼は益州をとることだけが目的だったというのも少し違うような…。とったその後も考えてた気がします。荊と益の2方面から北上して曹を攻める。結局、失敗しましたが、荊の関羽軍だけで、曹軍を苦戦させました。あながち、夢物語では無かったかもしれません。ただ、関羽の戦死が彼のその後の計算を狂わせたのかもしれません。
そして、崇英さん。曹操についての討論ではお気を悪くされたかと思います。遅くなり、場所違いでもありますが、謝りますm(__)m
さて、本題ですが、僕としても崇英さんの意見に賛同します。本来、文官である彼が戦の総指揮官を務めるわけですから、彼の、"何としても戦に勝ちたい""何としても蜀を強くしたい"という彼の気持ちの強さがうかがえると思います。
あと、彼は益州をとることだけが目的だったというのも少し違うような…。とったその後も考えてた気がします。荊と益の2方面から北上して曹を攻める。結局、失敗しましたが、荊の関羽軍だけで、曹軍を苦戦させました。あながち、夢物語では無かったかもしれません。ただ、関羽の戦死が彼のその後の計算を狂わせたのかもしれません。
(F900iC/FOMA)
>飛燕殿
とんでもありません。
不意に現れ、突然に間を空けるのは私の悪い癖です。
確かに中途半端な処で、私の言が切れてますね。
私のおかしな対応で、気に病まれたならば
こちらこそ謝します。申し訳ありませんでした。
ちなみに当方は、一寸の蟠りもございません。
さて、このスレの話題に戻りますが、
遥か以前に『流入した人口〜云々』と発言しましたが、
これも舌足らずだった事に気づき、些か補足をば……
『流入した人口』は、争乱や飢饉を避けて益・荊に
移動したもので、
中には曹孟徳が北を押さえた以降に戻った動きもあると思うのです。
実際、荀公逹なんかも荊州まで南下したことがありますし。
また、そうでなくとも、河北や中原が曹孟徳の支配下で
本来の回復力を取り戻せば、やがて水を開けられることも
無い話ではないと、併せて思うのです。
であれば、益州を押さえて完結とするのは、些か次代に繋がらないと考える次第であります。
とんでもありません。
不意に現れ、突然に間を空けるのは私の悪い癖です。
確かに中途半端な処で、私の言が切れてますね。
私のおかしな対応で、気に病まれたならば
こちらこそ謝します。申し訳ありませんでした。
ちなみに当方は、一寸の蟠りもございません。
さて、このスレの話題に戻りますが、
遥か以前に『流入した人口〜云々』と発言しましたが、
これも舌足らずだった事に気づき、些か補足をば……
『流入した人口』は、争乱や飢饉を避けて益・荊に
移動したもので、
中には曹孟徳が北を押さえた以降に戻った動きもあると思うのです。
実際、荀公逹なんかも荊州まで南下したことがありますし。
また、そうでなくとも、河北や中原が曹孟徳の支配下で
本来の回復力を取り戻せば、やがて水を開けられることも
無い話ではないと、併せて思うのです。
であれば、益州を押さえて完結とするのは、些か次代に繋がらないと考える次第であります。
(PC)