55 五
『伝国の玉璽』のそもそもの始まりは、秦の始皇帝の時代に霊鳥の巣から宝玉が見つかり、それを瑞祥とした始皇帝が宰相の李斯に命じて『受命於天、既寿永昌』と彫らせ、形を整えたのが始まりだそうです。
その後、王莽が帝位を簒奪せんとした時、王政君に対し玉璽を引き渡すように使者を出したが、激怒した王政君は王莽の事を「恩知らず」と散々罵り、使者に対して玉璽を投げつけたそうで、故に龍の角の部分(つまみの所)が欠けてしまい、後に金で補修したそうです。(これが本物かどうかは定かではない)
以後、代々の中原王朝の皇帝に受け継がれてきましたが、五代十国時代の946年に後晋の出帝が遼の大宗に捕えられた時紛失。以来行方不明になっています。
その後、王莽が帝位を簒奪せんとした時、王政君に対し玉璽を引き渡すように使者を出したが、激怒した王政君は王莽の事を「恩知らず」と散々罵り、使者に対して玉璽を投げつけたそうで、故に龍の角の部分(つまみの所)が欠けてしまい、後に金で補修したそうです。(これが本物かどうかは定かではない)
以後、代々の中原王朝の皇帝に受け継がれてきましたが、五代十国時代の946年に後晋の出帝が遼の大宗に捕えられた時紛失。以来行方不明になっています。
(P902i/FOMA)