6 赤龍
>>4
その許昭と、会稽の妖賊許昭は別人の可能性がかなり高いですよ。
『後漢書』臧洪伝には、臧ビンが許昭の反乱を平らげ「獲昭父子、斬首数千級」とあり、おそらく処刑されているでしょう。
また『三国志集解』を読むと、許昭の反乱が起きたのは172と約20年も前ということ、妖賊許昭は会稽の人であり、成憲に仕えた許昭は呉の人だと思われることなどをあげ、別人とする説を紹介しています。
ちなみに、ちくま訳の索引では両者を同一人物と扱ってますね。
その許昭と、会稽の妖賊許昭は別人の可能性がかなり高いですよ。
『後漢書』臧洪伝には、臧ビンが許昭の反乱を平らげ「獲昭父子、斬首数千級」とあり、おそらく処刑されているでしょう。
また『三国志集解』を読むと、許昭の反乱が起きたのは172と約20年も前ということ、妖賊許昭は会稽の人であり、成憲に仕えた許昭は呉の人だと思われることなどをあげ、別人とする説を紹介しています。
ちなみに、ちくま訳の索引では両者を同一人物と扱ってますね。
(PC)
7 赤龍
当時は体制外の賢者、つまり仕官を求めず「逸民」として生きた人達が、反権力の立場をとり、民衆の側にたった暗黙の批判者という指摘はなされていますが、「裏社会のボス」というのはかなり誤解を招く、少々不適当な表現ではないでしょうか?
(PC)