61 巫俊(ふしゅん)
>>60
はい、劉備は益州平定後に益州の武力奪取を非難した益州の旧臣ひとりを誅殺していたはずですし、粛清を何もしていないということはないと思います。
私にとっては劉備の「酒をつくった奴は俺が殺してやるぜ、がるるる」というのがかなり気になるのですが(笑)
しかし誅殺された益州の旧臣にしても、劉備にとっては殺すだけの理由というか許せないことがあったらしく、それを私たちがどう評価するかはともかくとして、乱世の君主というのはそういうものなのだと思います。
一人を殺すのも数十万人を連座刑で殺すのも同じ粛清です。
数十万人を連座刑で殺したのは、自ら高祖劉邦たらんと努力を惜しまずそして衰亡する元朝(モンゴル)を尻目に南京(昔の建業)に都を置いて即位した明の太祖朱元璋(洪武帝)そのひとです。
朱元璋は功臣たちが王朝の財政に手を伸ばし乱費するのに激怒し、自分の社会経済プラン(廃れていた万里の長城の復興、農本主義、古典的古代国家の統治方式の修復)を実現する為に朝廷の人員をそっくり入れ替えてしまったのです。
それは有力な幾つかの派閥を丸ごと反乱謀議の罪にかけて家族親戚ごと皆殺しにしていくというもので、従って何十万人と殺されたのです。
(PC)