62 巫俊(ふしゅん)
>>59
h\ttp://WWW.sinomaps.コム/non-cgi/usr/39/39_86_12.jpg
ttp://WWW.sinomaps.コム/non-cgi/usr/39/39_93_11.jpg
上、後漢揚州地図。下、西晋揚州地図。

『晋書』地理志の注によると、
「太 康 三 年(282) , 分 秣 陵 北 為 建 業β , 改 「 業 」 為 「 業β 」 .」
晋は282年に秣陵県の北を分けて建業β県としたとあり、各史書の言う秣陵県の中心(県城)が具体的にどこを指しているかは若干問題があると思います。
『中国歴史地図集』を見て勘案すれば、丹陽県城と秣陵県城のあいだの距離は25km程度ですが、地図集はこの『晋書』地理志の注をもとに秣陵城を25キロ程度の位置と定めていると思われ、丹陽県城と建業β県城のあいだの距離は45km程度です。
数字は巫俊が定規をPCの画面にあててみただけなので概数だと思ってください。
注と地図集の通りであれば、秣陵県城は南側の内陸に、建業β県城は長江沿いの北側にあったということになりまして、丹陽県城もまた長江沿いではなく内陸にあります。
(PC)