62 赤龍
発言なり、自説なりが、「誤解を生むものじゃないか?」といわれるのは、読み手側がそこに問題を感じたからそういうのであり、議論にあたって真っ当な批判と思います。
それを認めないというのは、自説に固執し、批判に対し感情的になってるだけなのではないでしょうか?
そうではないというのなら、まず相手を納得させれるだけの説明をする必要があります。
ここで大切なのは「非凡な主張には非凡な証拠が必要である」という基本的な約束事。

そして、自分の意図がうまく伝わらなかったり、間違って伝わるのを、即読み手の責任とするのは、書き手の傲慢というもの。自分の文章の責任は自分にある。これは少なくとも私自身が、自分が文章を書くにあたり、常に心にとめるべきと思っていることです。
(PC)