63 しす
>>57-60
実家で学生時代に買った本を整理していたら、新人物往来社の『三国志縦横談』で周倉に関する記述を見つけました。
以下原文のまま。

また『山西通志』に次の記載がある。
「周将軍は平陸の人なり。初め張宝の将たり。後に関羽と臥牛山に遇い、ついに相従う。樊城之役に生きながらホウトクを擒え、後、麦城を守りて死す」

『山西通志』は後代に書かれたものだし、あまりにも演義の周倉像そのものなので資料的価値はどうかとも思いますが…。
(PC)