63 赤龍
天草さんの誘導に従いまして、黒耀竜さんのブログコメント
「そもそも天下三分の計なんて存在しなかったのではないか」

これは、いわゆる「隆中対」と呼ばれる、三顧の礼で諸葛亮を招いた劉備に対して、諸葛亮が「天下三分の計」を語った演義、正史通じての名シーン。これを創作とする説でしょうか?(違ってたらすみません)
>>35で元歎さんも実はそれに近いことに触れられていますね。
これを言うと、ほんと身も蓋も無い話になってしまうので、私も紹介をためらうというか、内心認めたくないというか(笑)
長くなりますので次に続く。
(PC)
64 赤龍
これは、私が度々ここで紹介してる高島俊男さんの『三国志きらめく群像』に書かれていた説です。

まず第一に、諸葛亮の発言はうまく行き過ぎている。あまりにも、諸葛亮の策通りに事態が推移している。
第二に、この会話「人ばらいをして」行なわれたとされている。その二人だけの密談を、誰がこうも鮮明に記録したのか?
以上の点から、中国の史書の特色をふまえ「その後のなりゆきを見たものが、あたかも諸葛亮が事前にそれを見通していたように話をこしらえたものである」とされています。
そして、『史治通鑑』の司馬光の「孔子は『文が質に勝れば即ち史』と言っている。すべて史を為る者が人の言を記すのは、以て之を文する(飾り立てる)ところ有るにきまっているのである」という、第一級の史家の証言も紹介されています。

勿論、この説もほんとに創作か?では誰が作ったか?証明のしようの無いものですが。

私は、たとえ「隆中対」での一連の会話が無かったとしても、荊州、ついで益州を得るという大まかな戦略自体は諸葛亮に有ったと思っています。それは繰り返すように、基本的な発想は諸葛亮一人の奇策ではなく、多くの人が必然的に行き着くものにすぎないと考えてるからです。
(PC)