65 孫伯麗
鎮北将軍への昇進は建国時の人員整理のためであって功績に対するものではないと思います
都亭侯への封爵は二年後、つまり劉備が倒れた事による恩恵(死去して離反しないようになどの含みなども多々あるのでは…)
丞相司馬・涼州刺史を兼任に督前部になる
諸葛亮の完全な支配下に置かれる前衛大将にされています、3年間
前軍師・征西大将軍・仮節・南鄭侯となる
これは諸葛亮、キ山に進出した時ですね
仮節(上奏しての判決待ちなどしないで独自判断で法務執行可能な権限の一つ)を与えられているということは人格的に認められていたのでしょう
新野での逃亡時に辛酸を舐めたのでしょうか、軽々しく他人を罰することはない、公正な判断を下せるとの任命と思います
同じように同郷のケ芝が仮節を受けているあたりもその話を思いついたネタ元です
でも、劉禅になってから漢室(劉王室、後漢)の意志が薄弱になってきたのだろうか
結局、抜き差しならない状態になったとき、自害ではなく逃亡したので忠の対象を見失っての死去となったのかもしれない
そう思うと悲しい人物なのね
劉禅に対して壮烈な忠誠心を持っていれば(劉禅もそれだけの器を示して)魏延と楊儀が反目激突したときに>以下妄想
魏延は楊儀らの叛乱との発言に対し「忠義はここにあり!」と言い憤死した
楊儀らは自らの発言を深く悔い、魏延を忠義の士として称え大将軍・漢中王を追贈し、子を都亭候に封じた
などと締め括られるとかね(笑
本筋はずれる箇所もありましたが、魏延 真面目で直情的だけど話せば良い奴ぢゃん
て評価にしておきたいです♪
(PC)