67 寿君
この戦いで、黄権は劉備にシ帰で一旦止まり、自分に先鋒を任せるように進言しますよね?。
以前は陸遜の誘導も判ったもんじゃないと疑念を抱いていたのですが、やはり黄権は陸遜の三峡からの撤退の仕方に不信感を覚えたから、もしもの事態に備えるように献策したのではと思うようになりました。
とは言え、夷陵は益州から荊州へ続く回廊の出口の要衝(ここから臨阻の方へも道が延びてる)ですから、速やかに奪取すべき必要性もある。
だが、対陣が長引けば、魏が動くかも知れない。

様々なファクターが劉備の頭を悩ました為に、夷陵への進出までタイムロスが生じて、呉軍が(おそらく)所定の守備位置だろう夷陵と夷道のラインに万全で待ち受ける前線に行軍体形のまま、進出してしまったのでしょうかね?。
それか>>65-66のように、武陵蛮等の親蜀勢力との兼ね合いからか…早期に武陵からの異民族の援軍を合流させねば、兵力に不安があったか?。これが気になります。
また、武陵からの援軍がどれぐらいかは判りませんが、この段階での参戦となると、戦線における本隊との連携が上手く行ったようには思えません。
そこらも、敗因に繋がったような気がしてなりません。
(P905i/FOMA)