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ちょっと気になる記述を見つけました。高柔伝に、張魯討伐の軍を動かす際高柔が「今みだりに大兵を派遣すると、西方にいる韓遂・馬超は自分たちに対するものと思い叛逆を起こすでしょう」と諌めています。つまり、この出兵が関中諸将を刺激するであろうことは十分予想できたことであった。しかし、特別関中諸将に対する対策もとらず、あえて先に漢中を攻めた。これは、やはり曹操の真意が関中にあったのではと考えます。
ちなみに「関中諸将」といわれるように、彼らの勢力範囲は涼州ではなく、長安周辺にまで及んでいます。常識的な重要度でも関中>漢中となると思います。
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また、集解を見ると、既に胡三省も「曹操は先に馬超等を討ちたかったが名分が無い。そこで張魯を討つ姿勢を見せ、反乱を起こさせ、しかる後に出兵したのだ」ととらえています。
たしかに武帝紀の記述は、奴等が勝手に勘違いして反乱を起こしたのだから、それを鎮めるため自分が討伐に行く。と、あくまで曹操側の大義名分を書いているようにも感じます。そういう名分である以上、実は関中の地を狙ってたなんて、とても本文に書くわけにはいきません。
やはり、曹操の狙いは関中のほうだったと私は考えています。
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