71 赤龍
『集解』の該当箇所を見ましたが、やはり当時折衝校尉の夏侯惇を「大将軍」とよぶのはおかしい。「大」の字は誤りでないか?という意見が紹介されています。
後に大将軍になっているので、そこら辺混同されちゃったのかな?

>>67
いまさらですが、伏波将軍。初めて置かれたのは、漢の武帝の南越征伐の時、路博徳が任命された際の事のようです。かなり由緒ある将軍号のようですね。
馬援も交阯討伐の際に任ぜられているように、もともと南方(ベトナム方面)を征伐する将軍に与えられるものだったのではないかと思われます。海路を進むため「波を伏せる」という意でしょうか?
(PC)