71 胡蝶
『呉書』巻一・孫破虜討逆伝第一の注に引く『英雄記』には、董卓配下胡軫の言葉として、
「今の此の行や、要ず当に一青綬を斬れば、乃ち整斉するのみ」
といった感じで書いてあります。
ちくま訳では、青綬を太守(長沙太守)と訳していました。
私もそう思っています。

ところが、石井仁氏の東洋史研究51-3に掲載された『都督考』という論文に、
「董卓の大督護胡軫が出陣に際して、配下の「青綬」――中郎将・校尉の官位をもつ都督一人を斬殺して軍紀を引き締める宣言し、」
という一文がありました。

この文を見た為、「青綬」というのは、「胡軫の敵対者」と解釈すべきか、「胡軫の配下の一」と解釈すべきか、迷っています。
皆さんはどのように解釈するべきだと思いますか?
(PC)