73 朱家
姜維伝に「黄皓らが専権し…」とあり、陳寿の目に映る『ら』とは誰だろう?記述から推測すると、諸葛瞻、董厥でしょうか。
姜維は、陳祇が死ぬと、滅亡の前年まで出兵してないし、「仇国論」も『華陽国志』によれば、258年、255年の侵攻で、反対したのは張翼のみとあります。
不満というか、不安定を引き起こした段谷の敗戦は、姜維の責任ですが、怨嗟の声を無視した侵攻は、実質、翌年の諸葛誕の乱に呼応したのみだと思うんですよね。
これは批判されるべきだとは思いますが、対蜀の兵を東に移動されてますし、珍しく(おそらく唯一)孔明っぽい戦い方をしてますし、成果がないため批判されますが、大敗の後、言わば、魏になめられた状態で殻に閉じ篭るのか、もう一度、速やかに侵攻するのか、どちらも一長一短かなと…
最後の侵攻は記述が少なく、意図もよく分からないですが、注釈の『華陽国志』によれば、黄皓からの害を回避するために、外に出た状態ですからね。
姜維は、陳祇が死ぬと、滅亡の前年まで出兵してないし、「仇国論」も『華陽国志』によれば、258年、255年の侵攻で、反対したのは張翼のみとあります。
不満というか、不安定を引き起こした段谷の敗戦は、姜維の責任ですが、怨嗟の声を無視した侵攻は、実質、翌年の諸葛誕の乱に呼応したのみだと思うんですよね。
これは批判されるべきだとは思いますが、対蜀の兵を東に移動されてますし、珍しく(おそらく唯一)孔明っぽい戦い方をしてますし、成果がないため批判されますが、大敗の後、言わば、魏になめられた状態で殻に閉じ篭るのか、もう一度、速やかに侵攻するのか、どちらも一長一短かなと…
最後の侵攻は記述が少なく、意図もよく分からないですが、注釈の『華陽国志』によれば、黄皓からの害を回避するために、外に出た状態ですからね。
(PC)