75 寿君
あぐっ!全部、朱家さんに書かれてしまいました。初めてお話させていただきます。寿君です。

劉備としては、呉班による誘引伏兵作戦が破れた時に、次の具体的な作戦を打てなかったのが痛かったと思います。
それにしても、この伏兵作戦、陸遜以外の諸将が攻撃を促した事から考えて、もし陸遜じゃなかったら…考えてしまいます。
また、逆にさほど巧妙な伏兵(まあ陸遜伝の書き方のニュアンスにもよりますが)とは思えないのに、諸将がこれだけ出戦を希望したのを見ると、ここまでの戦闘が本当に屈辱感ある敗走になって、ようやく夷陵で落ち着けたのではとも思います。
陸遜がギリギリで蜀軍の進撃を受け止めて、我慢に我慢して敵が弛緩した時に反撃した鮮やかな逆転勝利の典型だったんでしょうね。
しかし、いくら持久戦でも、あの崩れ方は劉備並びにフウ習の軍統率の粗相を否定できないと思います。
全軍の統括は、劉備は皇帝なので総司令・フウ習の役目になるんでしょうか?。
確かどこかのスレで、フウ習の夷陵の件に触れてたと思いましたが…。
(P905i/FOMA)