78 朱家
若干、方向性が変になってますが、私は「天下三分は周瑜死後」に反論してるだけです。

魯粛が孫権に会った頃の呉は、周瑜、陸遜どころか、孫権自らも内部鎮圧に動いており、もはや反乱レベルではなく、陸遜は「山越を平定しない限り、北方への戦略は困難」と言ってます。
魯粛は「今のうちに荊州を取れ」と言っており、曹操と戦う戦略ですが、呉内部から見たら、なかなか的外れな発言です。
孔明も同じく、少なくとも劉備には、曹操を倒す、戦う気があるので、その唯一の手段(方向性)を伝えただけで、仮に、荊州奪取が極めて困難だったとしても、唯一の手段なのですから、「発言してない」根拠にはならないでしょう。
元歎さんの根拠だと、魯粛、甘寧の発言もなかった事になります。まあ、江東、荊州、益州の連合が唯一なのかは、実際のところ分かりませんが…

周瑜が、孔明や魯粛のように外の人間であれば、同じような事を発言したと思いますね。
(PC)