8 巫俊(ふしゅん)
なるほど、孝霊本紀には父の方の許生(昌のこと)を殺したとしか言及されていないのですから、子の許昭は地下に潜ったと想像していたのですが、ゾウ洪伝には確かに父子を殺したと書かれていますね。

妖族の許昭と同一人物であった場合は、逸民とか言ってるけど前歴は宗教勢力の指導者ということであり、この二つは矛盾するとも思えません。ゾウ洪伝の記事が問題になって「裏社会のボス」説の根拠が不明確になるということは事実ですが、不適当という表現は如何なものでしょうか。
列伝によって記述が食い違うことも常態なのですし、問題とは思わないですね。むしろ賢者という言葉に妙な先入観でもあるのでは?
呉書だけで考えれば、許昭が殺されたという記述は無く、また韓遂の如くかつて反乱を起こしたからといって史書が賢者と書かないとも限りません。
第一注釈の語録の記事なのですし、信憑性は疑われるでしょうけど、中国社会の常識に沿って人物は行動してるはずだと見る赤龍さんの態度にも見落とす視点があるのではないですか?
(PC)