8 赤龍
曹操が陳宮の家族の世話をした件について、『三国志集解』を見ると、胡三省の「陳宮の家を手厚く遇し、それに対し孔融の子は生かさなかったのは、陳宮の妻子は必ずやなにもできないと考えたのだろう」という意見がのってました。
即ち、老婆と娘で男子がいなく、恐らく後ろ盾となるものもいなかった。生かしておいても禍根となることはない。という計算があったのだろうと。
美談に水をさすようで申し訳ないのですが、やはり一面でこうした計算はあったんだろうなとは思います。
(PC)
9 ストラップ
>>7
信念の強い人だったのでしょうね。

>>8
確かに老母と娘の話しかでませんね。あった可能性は高いですね。というか、孔融の子供を殺した時の内容からすれば、大いに考えられる気もします。

とはいえ、裏切ったにも拘らず、又尚配下にしようと考えた男の家族な訳ですから、皆殺しすべきところを助けた、と僕は考えたいです(こういう考え方は、「歴史の考察」という観点からは失格なのでしょうが)。
注に引く典略では、陳宮に対し曹操は老母、妻子と、二度話題にし、陳宮を引留めます。その度に発言する「在明公也」、「亦在明公也」が、もう何だか曹操を信用している様で。「太祖未復言」と、未練がましい曹操に「請出就戮、以明軍法」と、「軍法を明らかにしろ」も、決断を促す陳宮の優しさの様に感じます。
尤も一度裏切った手前、剛直な陳宮は曹操の軍で働く事など出来なかったのでしょうね。
(PC)