82 巫俊(ふしゅん)
このような例は、近代に特有の戦略理論でありまして、前近代における諸葛亮の「天下三分の計」と称されるものはもっと大雑把で、状況に応じて変わりやすいものでしょう。
ここで重要なことは、戦略理論と現実的な行動決定には大きな開きがあることです。
前近代の戦争習慣では、戦略思想が及ぼす影響が大きく、戦略思想に忠実に作戦を遂行することは現代の大国の常識ですが、前近代においてはそうではないということを理解できるかどうかが問題です。
三国時代において、戦略的行動決定は構想に毛がはえたものに過ぎず、先ほどから強調してきた戦略的思考で三国志を読むべきという指摘を否定することになるのですが、「天下三分の計」に代表される三国志の戦略構想は戦略的状況が流動的に変化することに対応して、非常に大雑把なもの、そのときどきに都合よく解釈を変えられる戦略構想になっていると考えるべきです。
繰り返しますが、当時の人が戦略という言葉を使用していた訳ではありません。
ただ、戦略的状況の流動的変化とそれへの対策は戦国時代に完成しています。
諸葛亮の尊敬したとされる楽毅は古代的な意味での戦略家であることを失念することはできません。
以上、理解しにくい人は無理に理解しようとせず、諸葛亮の「天下三分の計」は劉備の方途の概略を示したものであって、実際にはその局面、局面に対応した対策が講じられていたということを提起するのが元歎さんの局面戦略説です。
ここで重要なことは、戦略理論と現実的な行動決定には大きな開きがあることです。
前近代の戦争習慣では、戦略思想が及ぼす影響が大きく、戦略思想に忠実に作戦を遂行することは現代の大国の常識ですが、前近代においてはそうではないということを理解できるかどうかが問題です。
三国時代において、戦略的行動決定は構想に毛がはえたものに過ぎず、先ほどから強調してきた戦略的思考で三国志を読むべきという指摘を否定することになるのですが、「天下三分の計」に代表される三国志の戦略構想は戦略的状況が流動的に変化することに対応して、非常に大雑把なもの、そのときどきに都合よく解釈を変えられる戦略構想になっていると考えるべきです。
繰り返しますが、当時の人が戦略という言葉を使用していた訳ではありません。
ただ、戦略的状況の流動的変化とそれへの対策は戦国時代に完成しています。
諸葛亮の尊敬したとされる楽毅は古代的な意味での戦略家であることを失念することはできません。
以上、理解しにくい人は無理に理解しようとせず、諸葛亮の「天下三分の計」は劉備の方途の概略を示したものであって、実際にはその局面、局面に対応した対策が講じられていたということを提起するのが元歎さんの局面戦略説です。
(PC)