DRANKBALL
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京野菜(きょうやさい)は、一般的に、京都府内で生産された野菜の総称。ただし京の伝統野菜やブランド京野菜は、主に京都地方で古くから品種改良が施され伝統的に生産され続けている野菜の品種群として定義されている.京の伝統野菜は41品目、ブランド京野菜は21品目あり、重複品目を含めた総品目は43品目である。


昔から文化の中心として栄えていた京都は、地理的に海から遠いことから魚介類の入手が難しく、その代わりとして多くの寺社による精進料理が発達したため、味わい深い野菜が地元で育成され続けた。
栽培や収穫に手間がかかることから次第に農家が敬遠したため、ついには一部の品種を絶滅させてしまったことから、1987年に京都府が34種を「京の伝統野菜」として選定した。その選定基準は明治以前から京都府内で生産されていた品種としており、その後も数品種が追加選定をされている。なお一部の品種には全国的に流通しているものもある。一方「京野菜」という範疇には明確な定義はなく、京都府内で生産された野菜総てに加えて府外で生産された野菜でもイメージが京都らしいものは京野菜として販売されていることも多い.京野菜は、外見や広域流通の便を主眼とする、現代市場向け商品としての品種改良をされていないため、外見では変わった形のものが多いが、栄養面では一般的な野菜を上回るものが多い。
日本料理には当然使われるが、フランス料理、イタリア料理でも多く使われている。このような郷土色の濃い野菜には、大阪のなにわ野菜、奈良の大和野菜、石川の加賀野菜などがある。

以上や。
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「舞妓」のまとめ
舞妓 (まいこ)は年少芸妓、芸子(芸妓)の見習い、修行段階の者を指す。舞妓は京都(大阪、奈良などでも)の呼称である。東京など関東地域でいう『半玉』もしくは『おしゃく』に相当する。芸者は江戸での呼び方なので、区別する必要がある。

で舞を披露する舞妓]] 古くは『舞子』と書き、かつては9〜12歳でお座敷に上がり接客作法を学び、芸能など修業して一人前の芸妓に成長していたが、戦後児童福祉法と労働基準法の改正にともない現在は中学卒業後でないとなれない。
通例、半年から2年ほどの「仕込み」期間を経た後、1か月間「見習い」としてだらりの帯の半分の長さの「半だらり」の帯を締め、姐さん芸妓と共に茶屋で修行する。置屋の女将、茶屋組合よりの許しが出れば、晴れて舞妓として「見世出し」が可能となる。座敷や舞台に上がるときは芸妓も舞妓も白塗りの厚化粧をするが芸妓が通常鬘を付けるのに対し、舞妓は自髪で日本髪を結い、四季の花などをあしらった華やかで可憐な花簪を挿す。舞妓の初期は「割れしのぶ」という髪型で、2〜3年後に「おふく」となり、芸妓への襟替え1〜4週間前には「先笄」を結い、お歯黒を付ける(引眉しないので半元服の習慣が現代に残るものと見てよい)。襟替えの時期は20歳前後の場合が多い。
年齢が若いために見習いであるという建前から、衣装はかならず肩上げ、袖上げのされた裾を引いた振袖の着物を着る。ぽっくり(こっぽりとも、京都では「おこぼ」)の下駄にだらりの帯、という派手な格好もあるせいで、現在ではむしろ芸妓(芸子)よりも舞妓のほうが上方花街の代表的存在であるといえるかもしれない。座敷では主に立方を勤め、祇園甲部に限って京舞井上流、それ以外では若柳流などの舞踊を披露する。いずれの出身地にかかわりなく独特の京ことば(祇園ことば)を使うよう教育されるために、京都の象徴であるがごとくあつかわれることも多い。
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また、おおきに財団(京都伝統伎芸振興財団)が、お茶屋でお座敷遊びのイベントを開催することもあり、一般の観光客にも花街文化を体験できる機会が増えている。
現在、京都の花街で舞妓がいるのは祇園甲部、宮川町、祇園東、先斗町、上七軒の五花街である。舞妓の募集に、インターネットを通して舞妓志望者を募る置屋もあり、最近はブームのせいもあってか、舞妓志望者は増える一方である。にもかかわらず、憧れだけで入門した妓は封建的かつ前近代的な体質を持つ花街の昔気質のつらい修行に耐え切れず辞めてしまう場合が多い。そのため、花街ではいかに質の高い芸舞妓を保持するかが今後の問題といえそうだ。


長いから割愛(笑)
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