83 朱家
閻宇の官位だけど…

朱然伝(朱績)に右将軍、姜維伝、襄陽記、晋書には右大将軍。
『華陽国志』だと、259年に、左右車騎の後、閻宇を右衛大将軍にとあり、おそらくこの時、胡済も右驃騎に。普通に解釈すると、衛将軍の分置だけど、左右車騎(胡済も)に大将軍がくっ付いてないのが気になる。


閻宇を姜維と交代させようとしてるから、最低でも大将軍の下の、驃騎や衛の格は持つとは思う。
「右衛大将軍」の「大」が気のせい(笑)だとすると、諸葛瞻は左衛将軍、衛将軍をかなり強化した官位(車騎らの上、大将軍の下)ならば、諸葛瞻は左衛大将軍。
「衛」が気のせいだとすると、姜維は左大将軍で、それだと姜維の昇進時(258年)に、閻宇も右大将軍になってるはず。

陳祇が領中護軍(華陽国志)だった事を考えると、時間が空くとはいえ、諸葛瞻の都護は、姜維の軍事権がかなり怪しい。陳祇が生きてるか微妙ですが、仮に生きていても、反北伐派を抑えきれず、大将軍に戻せなかった?、むしろ、かろうじて左大将軍を確保したのかも。そんな時に陳祇が死んじゃって、姜維は録尚書事の権限をもって、とりあえず、閻宇を外に出したと…

推測の域を出ないけど、閻宇が姜維と同格に一票かな。降格なんか願い出るから面倒なのよ〜(笑)
(PC)