84 元歎
>>71
この戦が蜀軍にとって敗戦だったから、敗戦に理由を付けるために山頂に陣を敷いた事が選ばれた
>>75
王平の言う通りだったら街亭を確保できたという保証はない
まったく同意見です。この一戦だけで馬謖は知識のみだとか才能云々は言えないと思います。
>>75
連座して張休、李盛が死罪になり、黄襲は兵を没収され、陳寿の父親がコン刑に処されるなど関係者の処置が苛烈を極めている
ある人もこのことを疑問に感じ、こういう解釈をしていました。
馬謖の独断による大敗ならば、これらの部下の刑は重すぎる。では、馬謖の独断ではないのではないか。例えば、部下たちの強硬な要請(突き上げ)が最初にあり、馬謖はそれが諸葛亮の指示に背くことを理解していながら、またそれを思いとどまらせることができる立場にいながら止めようとしなかったのではないか…など。このように考えれば、馬謖も部下も重刑であったことの理由ができる。
(その人はまた、死刑の一歩手前ではなく死刑に処したのは、馬謖隊だけでなく諸葛亮本軍でも同様の突き上げがあったのではないかという考えをしていました。)
なるほどなぁと思ったものでした。確かに、こう考えると筋が通りますし、部下たちの突き上げが三国志に書かれていない理由もわかります。
この戦が蜀軍にとって敗戦だったから、敗戦に理由を付けるために山頂に陣を敷いた事が選ばれた
>>75
王平の言う通りだったら街亭を確保できたという保証はない
まったく同意見です。この一戦だけで馬謖は知識のみだとか才能云々は言えないと思います。
>>75
連座して張休、李盛が死罪になり、黄襲は兵を没収され、陳寿の父親がコン刑に処されるなど関係者の処置が苛烈を極めている
ある人もこのことを疑問に感じ、こういう解釈をしていました。
馬謖の独断による大敗ならば、これらの部下の刑は重すぎる。では、馬謖の独断ではないのではないか。例えば、部下たちの強硬な要請(突き上げ)が最初にあり、馬謖はそれが諸葛亮の指示に背くことを理解していながら、またそれを思いとどまらせることができる立場にいながら止めようとしなかったのではないか…など。このように考えれば、馬謖も部下も重刑であったことの理由ができる。
(その人はまた、死刑の一歩手前ではなく死刑に処したのは、馬謖隊だけでなく諸葛亮本軍でも同様の突き上げがあったのではないかという考えをしていました。)
なるほどなぁと思ったものでした。確かに、こう考えると筋が通りますし、部下たちの突き上げが三国志に書かれていない理由もわかります。
(PC)