85 巫俊(ふしゅん)
まあ領土は晋(併合の際はまだ魏)に接収され、官吏の一部は晋の中央官僚になった訳ですけど、やっぱり失業した人が多かったでしょうね。
蜀は人口に比べて官吏の数が異常に多い官製国家でしたから。

兵士には対呉戦が待っているので、交州派兵や三峡下りなど失職する可能性は少ない分野だったと思います。
晋は福祉政策なども掲げていましたので、確かに晋の統治下になってからの弊害というのは『晋書』が信用面において劣る史料であるとはいえ、目立たないです。

晋朝の一番の災禍は、三国鼎立や魏の滅亡の教訓を憂慮した武帝司馬炎が、王族に強大な権力をあたえて地方に分封したことにあるんですけれども。
蜀の滅亡から半世紀くらい後には五胡の乱が起こって再び華北と蜀は乱世にもどってしまいます。
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