86 赤龍
さらに、王平伝のその後の記述は、王平指揮下の千人だけが踏みとどまって、撤退に功をあげたことが書いてあるのみで、王平が馬謖と分かれて街道に布陣したという記述はない。
つまり、この文章を読む限りでは、結局は王平も一緒に山上に布陣することになったが、撤退に際して活躍したということですよね?ということは、これだけでは王平案で魏軍を防ぎきれたと言い切ることはできない。
このように、実際の記述はしすさんのいわれるようにかなり乏しく、多くが意図せずにせよ、演義の記述を前提に議論を進めているように思えます。つまり、正史準拠で議論しつつも、正史の記述で分からない部分が演義の記述により補われてしまっている。演義の影響力が強すぎ、知らぬ間にそれに引きずられてしまってるということです。そこら辺を意識しながら、もう一度考え直して見る必要もありそうです。
(PC)