86 諏訪
>>57-58
>>62-64
>>82-83

曹真がもともとは秦氏であったという記述は『魏略』にしか見られませんが、はたして信用できるのでしょうか。

これは根拠の無い推測ですが、曹爽が一族もろとも処刑されたために、曹爽及びその父の曹真は、じつは曹氏の血をひいていなかったということにされた可能性はないでしょうか。

私にはどうも、曹真の後の立場から、曹真が秦氏であったというのは疑問に思えます。
(W51S/au)
87 巫俊(ふしゅん)
・『三国志』魏書「曹真伝」

明 帝 即 位 , 進 封 邵 陵 侯 ,[二]遷 大 将 軍 .

・「曹真伝」裴松之注

[二] 臣 松 之 案 : 真 父 名 召β . 封 召β 陵 侯 , 若 非 書 誤 , 則 事 不 可 論 .

裴松之は『三国志』の本伝に曹真の父の名前を邵と書いているにも関わらず、魏の明帝の時代に曹真が召β 陵というところの侯に叙爵されていることに注意を促しているようですね。
実の父の忌み名を犯す封地を授けるというのは、確かに不審です。
(PC)
88 巫俊(ふしゅん)
>>87
>曹真の父の名前を邵
「邵」(しょう)という字、ケータイでご覧になっても召+βという字で表示されているでしょうか?
(PC)
89 諏訪
>>88
「邵」という字、携帯でもちゃんと表示されていますよ。

邵という名の件といい、曹真の父には謎が多いですよね。

もっとも名の件に関しては、裴松之も指摘しているように、書写の際の間違いという可能性もありますが。
(W51S/au)
90 巫俊(ふしゅん)
書写の際の間違いですか。
裴松之の指摘を見ると、誤写で誤った字が書かれている可能性に裴氏が留意していることを窺えるんですが、372年(東晋)に生まれた裴松之にして取り返しのつかない誤写があって本当の字が分からない可能性を指摘しているなんて、そもそも史書としては悲惨な状態ですよね。
やっぱり『三国志』の正本など信頼できる版本は西晋滅亡の折などに焼かれたりしたのでしょうか。
私は150年ばかりの間で取り返しのつかない(修正できない)複写ミスが起こるらしいことに暗然とします。
『三国志』ってこういう史料なんですよね。
(PC)
91 諏訪
同様な問題として、「邪馬臺国」か「邪馬壹国」か、というのが有名ですね。
これは、印刷技術の普及以前における史書の宿命だと、私なんか割り切っているところがありますが。

段々スレ違いになってきたので、この話題は>>>254に移しますね。
(W51S/au)