9 赤龍
習禎さんの質問の「同姓同名のもう一人の廖化」というのは、もしかして演義で廖化があまりにも長生きしてることからの、「廖化は二人いた?」という説をさしているのでしょうか?黄巾の残党という設定のため、乱当時15歳としても、蜀滅亡の際は93歳?長生きしすぎでは?ということで、同姓同名の廖化が二人?とか、廖惇、廖化は親子では?といった推測が生まれた有名な件ですね。
(J-SA05)
10 赤龍
さて、正史で廖化が初めて登場するのは荊州の守備をしていた関羽の部下として。つまり黄巾〜関羽千里行の一件は演義の創作。劉備の荊州支配後に登用された荊州人と見るべきでしょう。荊州陥落時三十代としても、蜀滅亡時七十代。261年頃、同年代と思われる宗預に「我々は七十歳を越え」と言われていることからもこの推定は大きく間違って無いと思われます。
(J-SA05)
11 赤龍
つづき
そして、同年代と思われる張翼・宗預も蜀滅亡まで現役。
ということで、演義での創作の設定の為、無理が生じたものの、正史では廖化の年齢は特に問題は無いという結論になります。
人物辞典の廖化の記述も演義準拠になってましたよ。以上長文失礼しました。
そして、同年代と思われる張翼・宗預も蜀滅亡まで現役。
ということで、演義での創作の設定の為、無理が生じたものの、正史では廖化の年齢は特に問題は無いという結論になります。
人物辞典の廖化の記述も演義準拠になってましたよ。以上長文失礼しました。
(J-SA05)