92 関翔
はじめまして。以前より色々拝見させていただいてはいたのですが、正史を読んだことがないなど、議論に足る知識が少なく控えていました。でも、思い付いたことがあるので意見したいと思います。
民俗学的分野(?)ですが、日本では怨霊が生まれるのは
・有名人が惨い死に方をしたとき
・その後祀る子孫がいなくなったとき
であるというのを本で読んだことがあります。その結果、菅原道真のように神として崇められるわけです。関羽が神になった場合においても、元々の人気などに加えて同じような側面があったのではないでしょうか?彼の子孫は少なくとも、ある程度公には皆殺しにされている以上、為政者や人々が祟りを怖れて祀りあげたと考えることも可能かな、と思います。
このような手段は神武東征辺りからと聞くので、三国時代よりも前ですよね。中国ルーツなのか、日本からの逆輸入かはわかりませんが…。
神格化に関して、拙い意見でしたがいかがでしょうか?
(L03A/FOMA)
93 諏訪
>>92
はじめまして。

現代では関羽が特に有名になっていますが、非業の死を遂げていなくても、著名な人物はたいてい神として祀られています。
後世における関羽の人気は、非業の死による判官びいきが一因としてあるでしょうが、関羽の神格化は怨霊だけが原因ではないと思います。

ところで、神武東征は神話です。
史実ではありませんよ。
祟りをおそれて祀るという行為は、中国では殷の時代から存在します。
(W51S/au)
94 関翔
なるほど。こんなに早くレスが頂けるとは、ありがとうございます。これからもよろしくお願いしますね
自分は理系の人間ですし、あまり詳しくはないのですが…。
無論、怨霊が怖いことだけが関羽を神格化したとは思っていません。ただ、これだけ有名ならしめた一因として、彼の死後すぐ曹操・呂蒙が死に、呪いであることが騒がれたのちに、子孫が皆殺しにされているわけで、人々はこれによってまた祟りが起きるのではないかと心配したのではないか、と考えてみたわけです。メインは子孫が絶えていることだったのに伝わらなくて申し訳なかったです…。それにしても殷の時代からそうだったとは知りませんでした。宗教社会学などから眺めれば当たり前かもしれませんが…
あ、それから、自分は神武東征は実際に…少なくともモデルとなる出来事はあったと思っています。その根拠は…脇道にそれすぎるのでやめておきますね。
(L03A/FOMA)
95 しす
関羽の神格化ついては
>>99-4
で私も祟り設をカキコしてますが、さすがに数年前のものなので今は微妙に違う考えです。

個人的には祟り云々は神格化されていく課程で付加されていったものだと今では考えてます。
(912T/SB)
96 しす
すいません。
>>>99-4ですね。
追加しますと、祟りの対象になる人物は他にもいくらでもいたにも関わらず、なぜ関羽の神格化がここまで肥大化したのか?
他の人にはなくて関羽にはあった条件というのがあるんだと思います。
そう考えると関羽神格化の立役者は曹操かなぁという気がします。
(912T/SB)
97 諏訪
南北朝時代には、道教の世界で曹操や劉備が神になっていますが、関羽はまだ神になっておらず、関羽が神として登場するようになるのは、死後400年以上経った唐代からです。
関羽の死後あるいは関羽の子孫が絶えた直後に、人々が関羽の祟りをおそれた、ということはあまりないように思います。

私も>>95のしすさんと同様に、祟り云々はあとから付加されたもので、神格化された当初は、祟り云々はあまり関係ないと思います。
つまり、

関羽の祟りをおそれる→関羽の神格化

という順序ではなく、

関羽の神格化→後付けで関羽の怨霊の話が創作される

という順序ではないかという気がします。
(W51S/au)
98 諏訪
神としての関羽は、仏教界でいち早く登場しますが、あくまで仏法の守護神というかたちであり、怨霊云々は関係ないようです。
また他には、武成王(太公望)廟の脇侍として登場しますが、このときは古今の名将が脇侍に選ばれており、三国時代からは他に、張飛・張遼・トウ艾・周瑜・呂蒙・陸遜・陸抗が選ばれています。
このあたりをみても、関羽が祟るから神格化したというわけではないように思います。
(W51S/au)
99 関翔
色々と勉強させていただきありがとうございます。アンカーの張り方などがさっぱりな人間なので読みにくい自分の文を読んでくださるだけでもありがたいのに…
無双なんかでは生きているうちから軍神扱いしてたり、「はい、スキップ」ですよね。ゲームだからまあいいですけど、一般理解には騙されないよう注意していきたいです。
諏訪さんがコメントしてくださると軍神繋がりで面白いですね。ですが、もともと怨霊扱いされていたものが、時代と共に意味が薄れて三国の他の英雄と同じように祭られているという可能性も考えると、自分としては何とも言い難いご意見に感じます。無関係の説明は関係の説明に比べて厄介だっていう性質にもよるのかもしれませんが。また、仏教でも四天王などはもともと怨霊の仲間・餓鬼の類出身とも聞きますので、関羽が同じ扱いを受けていてもおかしくはないと思いますが。
また、ちょっと妄想族っぽいですが、祟りは創作であるとは思えません。
現代の感覚による事実は恐らく
関羽の斬首→呂蒙・曹操の死
だけですが、そこに呪いや祟りといった因果を見いだすのは人の心のみだと思いますが。そうだとすれば呪いや祟りの類いは実在するのではないでしょうか?自分と諏訪さんとの間には言葉の定義に若干齟齬があるように感じます。
しすさんのご意見に関しても、同じ齟齬があるかもしれませんね。でも、神格化の立役者が曹操であることは自分も賛成です。前述の因果の他、「為政者」=「曹家」に近いものがあると思います。過神格化(?)には確かに関羽固有の理由がありますよね。自分はその理由の一部を祟りや呪いに関する例の二点に絞って注目してみたかったんです。
・英雄と言える活躍ぶり
・一族皆殺し
の二点を満たす人って他にいるんでしょうか?どちらかなら、「ああ言えば孔融」(笑)とか、劉備とか、色々思い付くんですけど。怨霊の条件としてはこれ以上なかなかないと考えてるんです…。
(L03A/FOMA)