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赤龍さん、ありがとうございました。やっぱし荊州以降の人なんですね。傅トウにもついて夷陵以外の事で教えてもらえないですか?質問しまくりでごめんなさい。
(N900i/FOMA)
13 赤龍
残念ながら、傅トウは正史では夷陵の戦いの件でしか名前が見られません。義陽郡出身ということから、劉備の荊州支配後に臣従と推測できる程度でしょうか。親子二代蜀に殉じた忠義の人。「呉狗、何ぞ漢の将軍に降る者有らんや」
敵である司馬炎も、この親子の忠義を称えてます。
(J-SA05)
14 赤龍
補足として、傅トウの子、傅僉について。
鐘会率いる魏の征蜀軍に対し、ショウ舒と共に関口(で文脈上いいのかな?)の守将を務める。しかし、ショウ舒は出撃し戦うと欺き魏に降る。そして魏軍の急襲にあい、格闘して戦死する。魏の人にもそね義を評価されたという。
(J-SA05)
15 天草
う〜ん。。。
確かにそうですね。

正史での登場は関羽死後のようで…(汗)
赤龍サン>御指摘感謝!近いうちに書き直します。
(PC)
16 ストラップ
王允の甥、王凌。
彼も二世タレントには珍しく光る存在ですよね。
淮南という土地は、王凌以外にもKKKこと毌丘倹、諸葛誕と、三度も乱が起きています。それだけ寿春という拠点が防衛に適していたのでしょうね。
(PC)