1 クワマン軍曹

中国の碁

コレはあちしが某誌に投稿したネタの一部なんでゃんすが、中国の将棋、碁って日本のとだいぶ違うんでゃんすかねぇ?

中国最古の囲碁の本で「忘憂清楽集」と言うのがあってその巻頭に孫策対呂範の対局が載っているそーな。

あちしはそれを「中国の碁」(安永一著、時事通信社)を見て知ったのでゃんすが碁も日中同じルールなのでゃんすかね?ヽ(´ー`)ノ
(F901iC/FOMA)
21 ストラップ
>>20
少し時代は前ですが、馬融は、「囲棋賦」という囲碁に関する技術書を書いていたと記憶します。劉備は馬融の孫弟子ですから、強かった可能性はあると思いますよ。
又、応ヨウという人が、三国時代の人だったと思います。
(F2102V/FOMA)
22 しす
>>21
情報感謝です。
よくよく考えたら応ヨウに関してはストラップ殿が以前ブログで書いてましたね。

馬融の件は小説のネタとして使えそうですね。
若き日の劉備が簡雍と碁を打ってるシーン(もちろん金を賭けて)なんて面白そう。
(PC)
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>>20-22
他には以前赤龍さんが数人あげてありますね。これは>>6を参照の事。
又、>>18が実際のものであるとすれば、呂範は現代のプロレベルの棋力がある様です。
(F2102V/FOMA)
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王粲の記憶力云々の話は、記憶力の問題よりも、やはり棋力だろうなと感じます。
無秩序に並べた石は記憶に頼るしかありませんが、囲碁の勝負であれば、ある程度のセオリーから準える事が出来ますから。
こう考えるならば、打ち手の二人もある程度の棋力があった事になりますね。
対局していた二人がヘボならば、純粋に記憶力抜群ですね(笑)
(PC)
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コミについての記述を見つけましたので、三国志とは無関係ですが記しておきます。

>>4
一説によると、我が国には遣唐使吉備真備によって中国から伝わったとされるが真偽不明。現在は朝鮮経由説が有力との事。
尚、正倉院には、聖武天皇遺愛の碁盤が残されている。

>>9>>14
置き石を廃止したのは>>20で紹介された十六世紀末の顕本法華宗の僧、日海(本因坊算砂)。
尚本因坊の名は、日海が京都寂光寺の本因坊に住んでいた事に由来。

>>12-15
コミのルールは1938年本因坊秀哉名人の引退試合の相手を選ぶリーグ戦で初採用。尚木谷実との引退試合ではコミ無し。
(PC)